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東京地方裁判所 昭和38年(ワ)10121号 判決 1966年12月17日

東京都目黒区中目黒三丁目一一三八番地

原告 増田和子

右訴訟代理人弁護士 斉藤素雄

吉田賢三

東京都世田谷区玉川奥沢町一丁目二一四番地

被告 Y

主文

被告は、原告に対して、金五七〇万円及びこれに対する昭和三八年一二月七日以降支払済みまでの年五分の金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分にかぎり、原告が金一〇〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対して金八七〇万円及びこれに対する昭和三八年一二月七日以降支払済みまで年五分の金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、請求の原因並びに抗弁に対する答弁として次のとおり述べた。

(請求の原因)

一  原告は、その所有に係る東京都中央区銀座東一丁目七番一三宅地四四坪五合(以下「A地」という。)、同番一四宅地八坪四合九勺(以下「B地」という。B地は原告の夫である増田清一の所有名義にしてあった。)、A地・B地上所在家屋番号同町九二番木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建居宅一棟一階九坪九合一勺(以下「C棟」という。)について、昭和三七年八月頃弁護士である被告に対してその売却の事務(法律行為を含む。以下同じ。)処理を委託し、被告はこれを承諾した。

すなわち、原告はA地・B地・C棟(以下「本件不動産」という。)のほかにA地・B地上所在家屋番号同町一一三番木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建店舗一棟一階二五坪一合八勺二階二五坪一合八勺屋階一六坪四合二勺(以下「D棟」という。)を所有していたところ、A地・C棟・D棟を担保に提供して昭和三六年五月に訴外石橋興業株式会社(以下「石橋興業」という。)外一名から金七二〇万円、同年九月に石橋興業から金一五〇万円、同年一一月に訴外石橋ヒデから金一〇〇万円を各借り入れたほか、夫の清一名義でB地を担保に同年一二月に訴外東和産業株式会社から金一七〇万円を借りたが、昭和三七年四月に及んでB地・C棟・D棟について石橋興業がかってに自己のために売買による同年二月二日付所有権移転登記をしたうえ、訴外東洋建設工業株式会社(以下「東洋建設」という。)のために売買による同年四月一八日付所有権移転登記をし、A地について東洋建設が石橋興業の原告に対する債権の譲渡を受けたうえ右債権の代物弁済による同日付所有権移転登記を経由していることを知ったので、被告に対して、同年四月二三日にその事件処理の委任として、本件不動産及びD棟の各所有名義をもとに復させること並びに前記借入金の高利を利息制限法の制限率以下に引き下げることを依頼した。その後D棟は取毀しにより滅失し、本件不動産について訴外中村邦保(以下「中村」という。)がその東洋建設に対する債権の代物弁済により同年七月二日付所有権移転登記を経由してその所有名義人となったところ、「金を返せば登記名義を返すと中村がいっているから、このさい本件不動産を処分して清算すべきである」旨の報告及び助言が被告からあったし、それに金を捻出するには本件不動産を売るほか途がなかったので、同年八月頃原告は被告に対して本件不動産を売却して中村との関係を整理することを委託するにいたった。

二  本件不動産の売却について同年一一月中旬か下旬に被告から「戸田組(称号もと株式会社戸田組、いま戸田建設株式会社である。)で坪七〇万円位で買いに来ているから、有利な額にするために売買を委せてもらいたい」旨の申出があったので、原告は、被告に対して、宅地の売値はすくなくとも坪当り八〇万円とし、買主は戸田組として本件不動産の売買を行なうべきことを特に指示した。

ところが、被告は、右指示にもかかわらず、同年一二月一〇日いよいよ取引成立の段に及んでいままで聞いたこともない訴外丸友商事株式会社(以下「丸友商事」という。)との間において代金三三五〇万円をもって本件不動産を売買する契約の締結をした。そして丸友商事は同日に代金三七五〇万円で戸田組との間に売買契約を締結したのであるが、このような取引関係について、「戸田組ではいわゆる瑕疵物件を買わない建前になっているため、一応丸友商事で買い取って瑕疵を消したり、賃借人を立ち退かしたりしたうえ戸田組で買うことになっている。結局その間丸友商事が立替えるという形をとるわけであるが、戸田組の枠が四〇〇万円ある(売値三七五〇万円と三三五〇万円との差額四〇〇万円あることの意味。)から、そのうち一五〇万円位を立退料にふりむけるとしても、あと二五〇万円は原告の手に入ることとなる。」旨被告から説明があったので、その間の形はどうであれ、戸田組が三七五〇万円で買い取ることであると考え、原告はその処理を被告に任せた。しかし、本件不動産については、当時戸田組が買値三七五〇万円をつけていたし、また売買成立とほとんど同時になんら負担や瑕疵のない物件として取引される状態になっていたのであるから、原告が直接戸田組に売り渡すのに障礙などはなかったはずであるにもかかわらず、被告は、右説明をもって原告を説き伏せ、ことさらに丸友商事を介在させ、あとになって戸田組とのことは知らないとは、まったく納得できないところであり、被告がなんら関係のない丸友商事を介在させ、これに四〇〇万円を儲けさせるような取引をしたことは不可解というほかない。このように、すでに三七五〇万円の買手戸田組があるのに、ことさらに丸友商事なる傀儡を介在させて一旦同社に三三五〇万円で売り渡し、そのうえ丸友商事が戸田組に三七五〇万円で転売した形をとったことは、およそ弁護士として被告のなすべからざる受任義務違反といわざるをえないのであって、被告はこれによって理由なく前記差額四〇〇万円相当の損害を原告に与えた。もっとも戸田組はC棟借家人相沢の立退と引き換えに支払うということで代金三七五〇万円の内一〇〇万円の支払を留保していたが、昭和三八年一〇月頃みずから示談によって相沢を立ち退かせ、その立退料として一〇〇万円を支払ったいきさつがあるから、右一〇〇万円相当額を控除した残額三〇〇万円相当額の損害について、原告は被告に対してその賠償支払を求めるほか、さらに右損害は前記売買成立の日をもって発生したものであるから、損害発生後の遅延賠償として、右三〇〇万円とこれに対する右損害発生の日の後である昭和三八年一二月七日以降支払ずみまで民法所定年五分の損害金の支払を併せて求める。

三  被告は原告・丸友商事間の前記売買に基づき昭和三七年一二月一一日に丸友商事から代金三三五〇万円を受領したところ、いままで原告に引き渡した金額は九一〇万円であり、ほかに右受領金額から原告のために支払われるべき金額は次のとおりである。すなわち原告・中村間の関係を解決するための和解金額については、中村の主張額が一六〇〇万円であるとの被告からの報告が同年九月過ぎにあったが、同年一二月にその支払が遷延されたからとの理由でさらに一〇〇万円を加算した一七〇〇万円でなければ応じないという中村の要求に従って一七〇〇万円で妥結するほかない旨の被告の申出があり、原告は右申出を諒承せざるをえなかった。また事件処理についての弁護士報酬(いわゆる着手金及び成功謝礼を含む。)その他の諸経費については、被告が当初の事件処理依頼時に原告に対して総額二〇〇万円を限度に考えれば十分である旨を告げ、原告がすでに着手金として二〇万円及び調査費として一〇万円を支払ったから、あと被告に対して支払うべき額は一七〇万円を超えないものである。したがって、右代金受領額三三五〇万円から既往の引渡済額九一〇万円、原告の諒承に係る和解金額一七〇〇万円、報酬等の支払残額一七〇万円を超えない金額を各控除した残額はすくなくとも五七〇万円をくだらないから、被告はその受任事務の処理が終った同年一二月一一日以降ただちに金五七〇万円を原告に引き渡すべき義務がある。原告は被告に対して右金五七〇万円とこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和三八年一二月七日以降支払ずみまで民法所定の年五分の遅延金との支払いを求める。

四  かりに、被告が原告のために原告の諒承に係る和解金額一七〇〇万円を超えてさらに三五〇万円を支払い、したがって前記引渡金返還債務額八七〇万円のうち金額三五〇万円の部分につき理由がないとしても、右超過額三五〇万円の支払は原告につきその義務も必要もないのに、かってに支払ったものでしかないから、被告は原告の受任弁護士としてその事務処理につき善良なる管理者の注意義務を怠り、よって金三五〇万円相当額の損害を原告に与えたものというべく、右損害賠償として、原告は被告に対して金三五〇万円とこれに対する右損害発生時の後である昭和三八年一二月七日以降支払ずみまで民法所定年五分の遅延損害金との支払を求める。

(抗弁に対する答弁)

一  被告の抗弁事実中本件不動産につき昭和三七年四月二三日当時中村のために所有権移転請求権保全の仮登記が経由されていたこと、同年八月頃以降被告が原告を代理し、深沢弁護士が中村を代理して双方の間に和解交渉がもたれたこと、被告主張の売買代金受領額三三五〇万円のなかから同年一二月一一日に金一七〇〇万円を中村本人に支払い、同年一二月一五日から昭和三八年三月二日までの間に六回にわたり合計額九一〇万円を原告に引き渡したことはいずれも認めるが、その余の事実はすべて争う。

二  東洋建設が昭和三七年四月五日に中村から金一七〇〇万円を借り受けて同年四月一八日に本件不動産を自己の所有名義としたのもつかのま、はやくも同年六月三〇日には代物弁済によって本件不動産を中村に譲渡するのやむなきにいたり、したがって本件不動産の所有権帰属に関する紛争につき原告がその所有名義人たる中村と和解して本件不動産の名義を取得するかぎり、東洋建設は原告に対してなんらの債権をも有しない理である。しかも中村の代理人である深沢弁護士と原告らの代理人たる被告との間において、原告らの中村に対する金一七〇〇万円の支払いと引き換えに原告ら又はその指定した者に本件不動産の所有権移転登記手続をなすべきことを合意し、かつ右金額支払及び登記手続のほかにはなんらの債権債務も存在しないことを確認する旨の和解契約を締結している事実が和解契約書(甲第八号証)により明らかであって、右契約書以外に原告が東洋建設との間においてなんらかの金員授受をしなければならない旨の文書はなにも取り交わされていない以上、原告の中村・東洋建設に対する和解金二〇五〇万円が支払われた旨の被告主張は事実無根も甚しい。そして金額三五〇万円に関する受領証書たる書面(甲第一一号証)の記載によれば、被告主張の二〇五〇万円のうち前記和解金額一七〇〇万円を超える部分の金額三五〇万円は中村・東洋建設に支払われたものではなく、かえって丸友商事に対して中村・原告ら間の和解及び土地建物売却斡旋手数料として支払ったこととなっている。しかし本件不動産の直接の買受人である丸友商事に対してその売買斡旋料を支払うべき筋合のものではないし、中村・原告ら間の和解の斡旋料を右和解となんら関係のない丸友商事に対して支払う余地はさらにないから、右受領証の記載とて不可解きわまるものである。被告は本件不動産を処分して事件解決をはかるほかないとして原告を説得したのちにおいて中村に支払うべき金額は一六〇〇万円をもって足りるべき旨の報告をしながら、その支払時期が予定より遅れたことによりさらに利息相当額として金額一〇〇万円を追加するのやむなきにいたったとして原告の諒承を求めたけれども、中村のほかに東洋建設もまた原告が示談すべき相手である旨の報告は事前には一度もなかったし、事後的説明としても、和解金額として一七〇〇万円をさらに超える三五〇万円の部分についてはまったく釈然としないものばかりで、とうてい原告の承服できるものではない。

三  当初の事件処理依頼にさいして、弁護士報酬(いわゆる着手金及び成功謝礼を含む。)その他の経費総額の見通しを尋ねたところ、被告においてそれらすべてを含め二〇〇万円を限度に考えてもらえば十分である旨を答えたので、その目安ならばと意を決めて、原告は、被告に対してその事件処理を委任するにいたり、同年四月二三日に着手金二〇万円、同年五月四日に仮処分保証金五〇万円、同年五月一一日に調査費用金一〇万円をそのつど被告の求めに応じて支払ったが、右保証金五〇万円については昭和三八年三月に三〇万円、同年八月に二〇万円を各返還した。したがって被告が原告に対してさらに請求しうべき報酬等金額は一七〇万円以内にとどまるというべきである。

なお、調査費用精算分五〇万円についての被告主張も首肯しがたい。被告が原告に交付した法律経済研究所作成の研究調査報告書なるしろものについてみるに、調査の主体部分は原告とその夫の清一に対する聴取と登記手続書類に関する調査であって、この程度のことはいわゆる興信所の手を経ずとも弁護士の手で調査しうることがらで、通常受任弁護士自身調査するところであるから、当然被告みずから調査すべきであったし、もし他に依嘱したとしても、その調査費用として五〇万円も六〇万円も要るわけがない。

被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁並びに抗弁として次のとおり述べた。

(答弁)

一  請求原因第一項の事実中原告がB地を所有していたこと、原告が被告に対して昭和三七年四月二三日に事件処理を委任する以前において原告がその主張の各所有権移転登記の経由を知ったことは否認するが、その余の事実は認める。

二  同第二項の事実中同年一二月一〇日に原告・丸友商事間及び丸友商事・戸田組間本件不動産につき原告主張の各売買契約が成立したことは認めるが、その余の点はすべて争う。

三  同第三項の事実中原告・丸友商事間の売買に基づき被告が原告主張の日にその主張どおりの代金を受領したこと、被告が原告に引き渡した金額が原告の主張のとおりであること、被告が原告から金二〇万円の支払を受けたことは認めるが、その余は争う。

四  同第四項の事実は争う。

五  本件不動産を代金三三五〇万円で丸友商事に売却する交渉について、被告は原告、その母りか及び夫の清一に面接してその承諾をえた。当初は被告において買主を見出すことはしないで、その選択を原告に求め、もっぱら原告の選択による買主との折衝をすることとして五、六人の買主候補と自称する者に接したが、いずれも資金の用意を欠くかあるいは代金額においてとうてい満足のいかないものであったので、成約するにいたらず、九月・一〇月を徒過して一一月に入るも原告側による売却は不可能となった。同年一一月中旬丸友商事の代理人である弁護士深沢勝から自分の方に有力な買手がみつかりそうなので交渉を進めたい旨の連絡があって原告と協議したところ、約二〇〇〇万円の支払予定分を含めて原告の手取総額三三五〇万円ならば承諾する旨の原告の回答をえたので、原告・丸友商事間の売買を成立させたものである。ちなみに公認の不動産取引手数料率によると売主・買主の双方につき一割五分から六分の間とする規定があり、そのうえ口きき料の支出があることは高額に上る物件あるいはいわゆる事件物につき往々みられるところであるので、取引総額が定ってもその仲介料・礼金などの名目で差し引かれることをおそれ、右にいう手取分とした。深沢との売買交渉に当って同人の推す買手がさらに転売するか、転売するにしても即時にするか、あるいは時間をかけるかは、いかように口でいうにせよ、被告の確知しうるところでないし、その頃深沢において丸友商事が戸田組云々と述べていたのは事実であるが、さればといって被告が原告のために戸田組と直接商談することが深沢・丸友商事・戸田組のいずれによっても許容されるものでありえない。思うに原告の主張する両売買代金の差額は通常の不動産取引率による仲介料や戸田組内におけるいわゆる運動費など予想しうる金額範囲のものである。したがって被告につき受任義務違背はないから、右義務違背に基づく損害賠償請求は理由がない。

(抗弁)

一  原告は、被告が原告のために丸友商事から受領した前記売買代金三三五〇万円につき金額五七〇万円の引渡債権を有すると主張するので、これに対して、被告は次のとおり抗弁する。

(1)  被告は、昭和三七年八月頃原告から本件不動産を売却することのほか、さらに右売却代金からの出捐をもって、本件不動産等を担保物件とする原告の借入に係る債務関係を清算することをも委託されてこれを承諾し、その事務処理として、中村・東洋建設の両者の代理人である弁護士深沢勝と折衝した結果、右両者・原告間の和解契約をとげ、右和解契約に基づき原告の右両者に対する金額二〇五〇万円の和解金を前記受領代金のなかから支払って、いっさいの紛争ないし懸案を解決した。

すなわち、被告が原告から事件処理を受任した同年四月二三日当時において本件不動産は石橋興業・東洋建設の占有に属し、東洋建設の所有名義となっているほか中村のために所有権移転登記請求権保全の仮登記までもなされていたので、石橋興業・東洋建設・中村の三者を相手に交渉しなければならなかったのであるが、石橋興業が東洋建設に本件不動産を売り渡したのちだったので実質的には相手方は東洋建設・中村の両者となった。そして同年六月に東洋建設が手形の不渡を出して倒産し、破産申立の動きが出てきたので、さっそく中村が自己の東洋建設に対する貸付元本額一七〇〇万円の債権の代物弁済として本件不動産につき同年七月二日付所有権移転登記をしていらい、交渉事項は東洋建設から本件不動産の占有を、中村からその所有名義をそれぞれ回復することであり、右交渉につき被告が原告側を、深沢弁護士が東洋建設・中村の両者をそれぞれ代理することとなった。当初本件不動産の買戻金額として二六〇〇万円が提示されたが、石橋興業・東洋建設のための前記各所有権移転登記のいきさつに好ましからざる非行があったことを問われたこともあって、交渉を重ねたあげく同年九月初旬にいたって同月末限り金二〇〇〇万円を支払うことをもって(この金額についてはまえもって中村・東洋建設の両者に対する支払いを合計額二〇〇〇万円前後とするときは和解してよいという原告の諒解がついていた。)和解するとの内約ができたところ、右支払期限がずれたので、さらに五〇万円を加算した二〇五〇万円を支払うことで同年一二月一〇日に原告・右両者間の和解契約が成立し、右和解契約に基づいて前記受領代金三三五〇万円のなかから金一七〇〇万円を中村本人に、金三五〇万円を中村・東洋建設の両者の代理人たる深沢弁護士にそれぞれ翌一一日に支払った。右支払額二〇五〇万円について深沢の言によれば、中村がその東洋建設に対する貸付元本額一七〇〇万円及び利息額一五〇万円の相当額一八五〇万円を、東洋建設がその債権者のために二〇〇万円を各収受したとのことである。なお、右金額二〇五〇万円のうち三五〇万円についての受領証(甲第一一号証)は、中村・東洋建設ともその税務対策などにより深沢個人名義の領収証を出すこととなったが、同人においてそれも困るということで名目だけの肩書として丸友商事代理人を記入したものである。

(2)  本件不動産の売却代金三三五〇万円から右和解金額二〇五〇万円を差し引いた残額一三〇〇万円が原告の手取総額であるところ、右手取額一三〇〇万円の三割に相当する三九〇万円をもって弁護士のいわゆる成功報酬とする(もっとも東洋法律経済調査所の調査費用清算分五〇万円及び丸友商事に約したD棟借家人相沢の退去費用四七万円は右三九〇万円中に含めるものとする。)こととして、昭和三八年三月二日に原告・その母りか・夫の清一間の分配金に関する紛議の解決とともに、当事者間合意をもってその決済を終了した。

(3)  被告は原告に対して昭和三七年一二月一五日から昭和三八年三月二日までの間に六回にわたり、原告も自認するとおり、合計金九一〇万円を引き渡した。

二  したがって、前記売買代金受領額三三五〇万円から(1)の和解金額二〇五〇万円、(2)の報酬金額三九〇万円及び(3)の引渡済額九一〇万円を控除してなお原告に引き渡すべき金額はもはやありえない。受領金引渡債務五七〇万円に基づく原告の請求もまた理由がない。

証拠≪省略≫

理由

一  原告が昭和三七年八月頃弁護士である被告に対して本件不動産の売却につきその事務(法律行為を含む。以下同じ。)の処理を委託し、被告がこれを承諾したことは当事者間に争がない。原告は、本件不動産の売買については、原告が被告に対して同年一一月すぎに宅地坪当りすくなくとも八〇万円をもって戸田組に売却すべきことをとくに指示した、と主張するけれども、右主張事実を肯認するに足りる証拠はみあたらない。かえって原告の本人尋問の結果(第二回)によれば、原告の関心は、本件不動産を売値いくらで処分するかということにもまして、本件不動産に関する従前の一切の懸案事項をいかにして一挙に解決し、そしてその結果原告の手取総額がいくらになるかということに集中されていたが、宅地の売値については、当初の頃原告が坪当り八〇万円を希望したのに対し、表通りに面した部分約四二坪は坪当り七五万円で売れるとしても、裏通りの私道を含む約一二坪の部分については坪当り四〇万円しか見積れないと被告がいった程度の話し合いが原被告間にあっただけであることが認められ、ほかに原告主張のように売買委託の趣旨を限定したとみるべき証拠はないし、また、宅地建物不動産については、自由市場価格ないし完全競争価格の成立を期待するわけにいかず、価格の形成が当事者の主観的要素によっても大巾に左右され易いことが経験則上明らかであって、右委託の趣旨につき特段の事情がないかぎり、被告は、本件不動産の売却については、その受任者として相当と認めるところに従い、買主を選択し、かつ代金額その他の売買条項の取極めをすることができ、したがってその処理事務の範囲において善管注意義務をつくせば足りるといわなければならない。

被告が同年一二月一〇日に本件不動産について原告のために売主原告・買主丸友商事間代金額三三五〇万円とする売買契約を締結したことは当事者間に争がなく、≪証拠省略≫によると、右同日ただちに丸友商事が戸田組に代金額三七五〇万円で本件不動産を転売したことを認めることができる。そこで、原告・丸友商事・戸田組の三者間における売買取引のいきさつについて考えるに、右認定の資料たる証拠並びに被告の本人尋問の結果をあわせると、本件不動産の転売を目的としない真の需要家たる買主としてはやくから戸田組の名があらわれ、そのための交渉を被告が進めていることも原告に知らされていたが、すでに丸友商事のほかに築地商会・富国不動産等の不動産業者が介在していたばかりでなく、原告がいかに実質上の所有権者をもって任じようとも、登記簿上その所有名義を回復するにいたらず、所有名義人たる中村と抗争しなければならないなどのいわゆる係争物件である本件不動産の売買であることの当然の警戒から、戸田組の担当責任者中原章雄は、もっぱら不動産業者を仲立ちにしてその責任による売買の履行を求め、原告側とはもとより中村ともその折衝はむしろ敬遠するかのような態度で、終始丸友商事を本件不動産の売主として交渉を保っていた(これは、弁護士深沢勝が中村の代理人を標榜しながら、さらに丸友商事を代理して多角的な役割を演じて活溌に動いたことが預って大きい。)ことが認められるから、本件不動産の売買については、当時原告から戸田組への直接取引を阻む屈強な障礙があったというべく、ほかに右障礙を排除して原告・戸田組間代金三七五〇万円で本件不動産の売買を成約させることができたはずであると認めるに足る的確な証拠がない以上、右の成約をとげなかったことをもってただちに被告がその委任の本旨に従う事務処理を怠ったとするのは当らない。

また、本件不動産を代金額三三五〇万円で丸友商事に売却した事務処理についてみるに、≪証拠省略≫をあわせると、本件不動産の売値はすくなくとも三五〇〇万円というのが原告の期待するところであったが、当時地上建物C棟には吉野寿司屋及び相沢菓子舗が居住していてその立退が問題であったので、売主原告側の条件をできるだけよくするために、売買価額のなかから立退料引き当てに金額四〇〇万円の枠を取ってもらい、金額一五〇万円程度の支払をもって原告側が右吉野・相沢の両店舗の立退きを実現すれば、約二五〇万円がさらに原告側の手許に落ちることとなるという着想から、そのような案を提示して交渉していることを原告にも報らせながら、被告は、いろいろ折衝を試みたが、けっきょく容れられず、いよいよ同年一二月一〇日に丸友商事の代理人深沢弁護士との間に売買契約を調印する段に及んで、その売買契約書(甲第九号証ただし、調印前のもの。)を原告に呈示して契約は売主原告・買主丸友商事間売買代金額三三五〇万円をもって成立するものであることを打ち明けるとともに、丸友商事が本件不動産の転売者として原告・戸田組間に介在するにいたった仔細については、係争物件である本件不動産を係争当事者原告から直接買い入れることを避けようとする戸田組の要請からであるというほか格別の説明をしなかったが、ただ原告側の手によって昭和三八年一月末日かぎり相沢菓子舗をC棟から立ち退かせた場合には、右売買代金額三三五〇万円とは別に金額一〇〇万円の支払が受けられることを明らかにして、右契約調印についての事前の諒承と、相沢の立退きに関する請書(甲第一六号証の五ただし、原告及び被告の各署名押印のないもの。)についての署名押印とを原告に求めたところ、原告は、相沢の立退きに関しては、すでに昭和三七年二月頃立退料三〇万円で一おう話がついていることでもあり、かりにその立退きに五〇万円を出捐したとしても、なお五〇万円が入手できることを期待して、買主丸友商事との売買契約に基づいて売主原告側が本件不動産の引き渡しのためにまず履行しなければならない事項として昭和三八年一月末日までに相沢をC棟店舗から立ち退かせることにつき買主丸友商事あての原告の請書にその署名押印をするにいたったことが認められ、原告の本人尋問の結果(第一・二回)中右認定に牴触する部分はその本人供述中の他の部分に比してにわかに措信しがたく、ほかに右認定をくつがえすに足りる証拠はない。なお原被告の各本人供述によると、C棟からの相沢の立退きは右約定の期限昭和三八年一月末日を過ぎて同年一〇月に戸田組・丸友商事らによってようやく実現したことを認めることができる。以上の認定事実によれば、被告が原告のために本件不動産を代金額三三五〇万円で丸友商事に売却した事務処理については、その事前に原告が異議なくこれを承諾したものというべきであるから、ほかに格別の主張及び立証がないかぎり、被告にいわゆる善管注意義務の違背があるということはできない。

したがって、原告の被告に対する債務不履行に基づく損害賠償請求(金額三〇〇万円)は理由がないといわなければならない。

二  原告・丸友商事間の前記売買に基づき被告が原告のために同年一二月一一日にその売買代金三三五〇万円を受領したことは当事者間に争いがない。右受領金の引渡に関する被告の抗弁につき以下判断する。

被告は、その受任事務の処理として、被告が中村・東洋建設の両者の代理人である深沢弁護士と折衝した結果原告と中村・東洋建設との間において和解契約が成立し、右和解契約に基づき和解金二〇五〇万円を支払った旨(右和解金二〇五〇万円につき中村・東洋建設の両者が各収受すべき金額の内訳如何はその両者の内部関係に帰し、右和解契約の合意事項には属しない趣旨に解される。)の主張をする。そこで、被告がした事務処理の経過について考察するに、≪証拠省略≫を総合すると、つぎのとおり認めることができる。

原告は、昭和三六年に本件不動産及びC棟建物を担保に供して石橋産業及びその一族から合計額九二〇万円、東和産業株式会社から一七〇万円の各借金をしてその利息返済に苦慮する状況にあったところ、たまたま東洋建設から本件不動産のうちのA地・B地約五三坪の宅地上にビルを建築してその賃貸による権利金・賃料を収めることを目的とするいわゆる貸ビル業の企画をもちかけられて乗り気になり、昭和三七年二月頃さらに石橋興業らから約一五〇万円の貸金をえてD棟店舗の明渡準備にかかったが、石橋興業・東洋建設らにかえってうまく利用され、その術中に陥った。すなわち貸ビル建築計画を進行させるにあたって、石橋興業はB地・C棟・D棟につき自己のために売買による同年二月二日付所有権移転登記を、東洋建設は石橋興業からA地・C棟及びD棟についての担保(抵当権・代物弁済予約に基づく所有権移転請求権・賃借権の各設定)の移転を受けたうえ、自己のためにA地につき代物弁済、B地・C棟・D棟につき売買による各同年四月一八日付所有権移転登記を経由したが、しかしB地・C棟・D棟についての同年二月二日付、A地・B地・C棟・D棟についての同年四月一八日付各所有権移転登記の手続は、いずれもその登記義務者である原告(ただし、B地については原告の夫の清一)に対して隠微にかつ非合法的手段をもって強行された。ようやく同年四月上旬に及んで原告は東洋建設らの貸ビル建築計画に不安を覚え、東洋建設らに対してその事業に参画しない態度をはっきり打ち出すとともに、本件不動産を石橋興業・東洋建設らの手から名実ともに回復し、かつ本件不動産を担保物件とする原告の借入に係る債務関係を適法・明確に特定すべきことをもって、被告の所属する法律事務所にその事件処理を委託するにいたった。そこで被告は同年五月七日に本件不動産につき債権者原告・債務者石橋興業及び東洋建設間係争物に関する現状不変更・占有移転禁止の仮処分命令をえて執行するほか、法律経済調査研究所と称する興信所的機関に前記登記手続に関する実態を調査させてえた確信に基づいて右登記手続の不正事実を糾明・追求して争う態度を持し、右仮処分命令事件の相手方代理人深沢弁護士から和解の申出がなされても、なおしばらくは追求の姿勢をかえないでいた。他方東洋建設は、前記のとおり不法な手段によって本件不動産の所有名義人となったことによって、石橋興業らの原告に対する本件不動産及びD棟建物を担保物件とする貸金元本合計額一二九〇万円につき原告のためにその債務を肩替りして原告に対する同額の債権を取得し、かつその債権の代物弁済として本件不動産及びD棟建物の所有権を取得したとする立場にあったものの、もともと自己資金の用意もなく、右肩替り資金等に供するために中村から一七〇〇万円の融資を仰いだので、またも本件不動産については、問題の所有権移転登記を経由したその日に担保として中村のために抵当権及び代物弁済予約に基づく所有権移転請求権の設定並びにその登記をする羽目になり、しかもわずか二箇月しか経過しない同年六月ついに遣り繰りの破綻から倒産して名実ともに潰れ去り、こんどは東洋建設の金主たる中村がその債権の代物弁済により所有権を取得したとして、本件不動産につき自己のために同年七月二日付所有権移転登記を経由して原告と相対するにいたったので、いらい交渉相手はいままでの石橋興業・東洋建設からいよいよ中村ひとりに、また交渉事項もしたがって本件不動産についての原告(ただし、B地については原告の夫清一)所有名義を中村から回復することにそれぞれ紋られてきたことから、当初の受任事務の処理すなわち本件不動産等を担保物件とする原告の債務関係をできるだけ原告の有利に確定させることがもはや無意味となった代りに、原告の有利に確定すべかりし債務関係に相応する金額の範囲で原告が中村に金銭の給付をして本件不動産の所有名義を回復することに受任事務の処理が指向されたが、原告は、自己に右金額範囲の弁済資力のないことから、本件不動産を売却して対中村関係を解決するほか途がないという被告の説得を聞き容れて、ようやく本件不動産の所有を保持することを断念し、同年八月頃あらためて被告に対して本件不動産の売却とその売得金からの支払による対中村関係の解決とを委託した。これを承諾して以後被告の事務処理は、原告のために本件不動産をできるだけ高価に売却すること及びその売得金から支払うべき原告の中村に対する金銭給付をできるだけ低額に抑えることにあった。中村は、登記簿上の所有名義の前主である石橋興業・東洋建設の各所有権移転登記手続にいずれも瑕疵があり、そのために自己の所有権取得を十全に主張するわけにはいかない難関に立たされたこともあって、原告に対する譲歩をよぎなくされた結果、東洋建設に対する貸付元本額に相当する金額一七〇〇万円を収受することで本件不動産の所有名義を手放すことを承諾するにいたった。そこで、被告は原告らのために同年一二月一〇日に中村の代理人たる深沢弁護士との間において中村が原告らから和解金一七〇〇万円の支払を受けるのと引き換えに本件不動産所有権の移転登記手続を履践すること及び右以外になんら債権債務の存在しないことを確認することの条項で和解契約を締結し、翌くる一一日に本件不動産の売買代金三三五〇万円を丸友商事から受領すると同時に、このなかから右和解金として一七〇〇万円を中村に支払い、かつ右和解に基づく登記手続として本件不動産の戸田組への所有権移転登記手続を中村に履践させた。もっとも、本件不動産等については、既往において原告が貸ビル建築に乗り気になってD棟建物から原告ら居住者の立退きがあり、つづいて東洋建設らの建築企画の着手としてD棟建物の取り壊しがあったし、同年五月に石橋興業・東洋建設の本件不動産の不法占有を理由として執行された仮処分命令事件が係属していたけれども、同年六月に東洋建設が倒産により瓦解し去った以後、おそくとも中村が東洋建設に対する債権の代物弁済に基づき本件不動産を収めた同年七月以降においては、所有権者(それが中村であるか、原告らであるかは、しばらく措く。)以外に本件不動産の引渡を妨げる占有者は、その正当権原のあるなしを問わず、本件不動産の地上わずか建坪一〇坪足らずのC棟建物にそれぞれ菓子商及び寿司屋の店舗を構えている相沢及び吉野の両名だけであったし、右係属仮処分命令事件も前記和解の交渉とともにおのずから沙汰やみとなって、いまさら東洋建設が原告らとの間における示談・和解の一方当事者として登場する余地はまったく残されていなかった。かように認めることができる。

右認定に反して、証人深沢及び被告本人は、原告らの代理人である被告は中村・東洋建設の両者の代理人たる深沢弁護士との間において和解契約をとげ、右和解に基づき和解金二〇五〇万円を支払った(すなわち金額二〇五〇万円の支払については、ただ一個の債務があるだけである。)ところ、その金銭授受に関しては、税金対策上の考慮から、書面上では中村関係の金額一七〇〇万円をもって和解金額はつきるものとしたほか、丸友商事が和解及び不動産売買を斡旋したことの手数料三五〇万円を受領したことにして、契約書(甲第八号証)・受領証(甲第一〇・一一号証)を作成した(したがって、これらの書面はそのかぎりにおいて真実に合致しない内容を虚構したものとなった。)のであるが、真実は、和解金額二〇五〇万円のうち一八五〇万円を中村が、二〇〇万円を東洋建設がそれぞれ収受した旨の供述をするけれども、右供述は前段認定に資した各証拠に比べてたやすく信用できない。ほかに前記認定の和解金額一七〇〇万円の支払以外にさらに原告のために三五〇万円の和解金額の支払いがあった事実を認めるに足りる証拠はみあたらない。被告の抗弁(1)は採用できない。

三  抗弁(2)につき検討するに、≪証拠省略≫を総合すると、原告は、昭和三七年四月中旬内縁の夫である栢木国彦を帯同して同人がその友人の紹介によって知りえた弁護士陶山圭之輔を訪ねたことから、同弁護士事務所に属する被告をさらに紹介されたが、弁護士に対するはじめての事件処理の依頼ながら、とかくその費用等相当の多額に上るものであるとの先入主もあって、総額どれ位かかるものかをたずね、一切合切ふくめて二〇〇万円を出ないものと思えばよい旨を被告から告げられて、内心予想額をはるかに超える金高に驚いたものの、ついに意を決してその事件処理を被告に委託し、同年四月二三日に金二〇万円、同年五月四日に金五〇万円、同年五月一一日に金一〇万円をいずれもそのつど被告の求めに応じて支払い、以後弁護士あての支払額は一二〇万円以内で済むつもりでいたことでもあり、また事件解決の結果すくなくとも原告の手取収受額一五〇〇万円を目標とすることが原被告間の諒解事項でもあったので、いよいよ同年一二月一一日に事件関係者間の金銭授受も終了し、年末を控えていることとてすくなくとも金額一三〇〇万円をくだらない入金を待っていたのであるが、同月一七日までの引渡額はわずか一二〇万円であり、同月三一日に母りかを訪ねさせたさいも、五〇万円しか返さず、しかも既往の弁護士支払額八〇万円のほかさらに弁護士報酬金三九〇万円とする旨が告げられ、ことの意外に驚きその旨の書面の交付を求めた右りかに対して費用などを含まない成功報酬として三九〇万円を一方的に計上したメモ状の計算書が交付されたことから、原被告間紛議をかもすにいたったところ、被告が前言をひるがえし、既往の弁護士支払額八〇万円のことにはふれないでただ成功報酬三九〇万円の一方的要求を正当化しようとする態度について、どうしても承服しがたいものを覚えていたばかりでなく、事件解決による収受目標額最低一五〇〇万円とする諒解線を大幅に割り一方的に一三〇〇万円と決めたうえでの返還すべき金額の支払いたるや小刻みに六回にわたって約四箇月を要して合計額九一〇万円にとどまり、さらに仮処分保証金に充てられていた五〇万円もまた小刻みに昭和三八年三月以降八月までに及んでやっと支払いを終えるといったありさまであったので、ようやく被告に対しておよそ受任弁護士たる者の義務履行につき深い不信を抱くにいたったいきさつを認めることができ、被告の本人尋問の結果中右認定に反する部分は、右認定の資料に供した証拠にてらしてにわかに措信しがたく、ほかに弁護士報酬についての抗弁事実を肯認するだけの的確な証拠はない。被告の抗弁(2)もまた理由がない。

四  しかし、被告が原告に対して昭和三七年一二月一五日から昭和三八年三月二日までの間に六回にわたり合計金額九一〇万円を引き渡したことは、原告の自認するところである。

五  そうすると、被告の前記売買代金受領額三三五〇万円から右引渡済額九一〇万円を差し引いて残額二四四〇万円であるが、原告は本訴においてみずからその諒承に係る和解金額及び報酬金残額としてそれぞれ一七〇〇万円及び一七〇万円を控除した残額五七〇万円の支払を求めているから、被告はその残額五七〇万円を支払うべき義務がある。そして前記認定事実によれば、被告は昭和三七年一二月一一日にその受任事務の処理を終了したものというべきであり、本件訴状送達の日の翌日が昭和三八年一二月七日であることは一件記録上明らかであるから、原告は被告に対して右引渡金残額五七〇万円及びこれに対する右同日以降支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めることができるといわなければならない。

六  そこで、原告の本訴請求のうち被告に対して右引渡金残額五七〇万円及び右遅延損害金の支払を求める部分はこれを正当として認容すべきであるが、その余の請求は失当として棄却すべきである。よって訴訟費用の負担につき民訴法八九条・九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中川幹郎 裁判官 前川鉄郎 裁判官浜秀和は転任につき署名押印することができない。裁判長裁判官 中川幹郎)

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